7月28日ツェルマットのホテル「バンホフ」に入った時はマッターホルンには雪が多く未だ解禁されていなかったので、登山できるかどうか不安であったが、その後の天気が良く明日挑戦できることになった。

2001年7月30日(快晴)

 11時頃にホテルを出て電気バスとロープウェイを乗り継いでシュヴァルツゼーへ、そこのレストランのテラスで昼食を摂る。ロケーションは最高だ! 食事を済ませ、コーディネーターの田村さん、伊藤、瀬尾、石塚の4人で快晴の中ゆっくり景色を満喫しながらお花畑の中を登り始める。途中トレッキング隊に出会い激励を受け、見送られた。

マッターホルン登攀記

ヘルンリ小屋から見上げるマッターホルンは身震いするくらいの圧巻で、長く眺めていると首が痛くなりそうだ。 
夕方6時にガイドの石塚は
Mr.ハービーと伊藤君はMr.イヴァン、瀬尾君はMr.トーマスとそれぞれ顔合わせ、装備のチェックでアイゼンと靴の調整を受け、所持品もヤッケ、少量の食料、水、カメラで起床は3時半、出発は食事も含め20分後と決まる。ほかに3,4人の日本の方もいる事を知った。

2001年7月31日(快晴)

 朝3時半小屋の明かりが一斉に点けられ起床、朝食はパンと紅茶で済ます。

出発は3時50分予定通りだ、星明かりの中ヘッドランプとガイドの靴跡をたよりに進む、コンティニュアスでズンズン引っ張られ「ハァー・ハァー」と息づかいが荒くなる、岩場で前のパーティーに追いつきチョット休める、すでにかなり上部にライトが見え、6・7番目に位置しているようだ。

 「ハァー・ハァー」休憩したいがガイドはグングン進む、1時間いや2時間は頑張ろうと心に決めて岩場をこなす。

 6時にソルベイ小屋に着く、やっと腰をおろし、水を飲みながら向かいのアルプフーベル峰からの日の出の美しさに疲れも癒されるようだった。ここまで2時間10分この調子ならいけそうだぞ。

 途中のガリーで、外人女性が目の前でスリップして宙吊りになり苦笑いをしていた。(レジーナと呼ばれていた)
 さらにしばらく攀ぼると、ちょっとハング気味で鎖のアブミとロープのあるところに出て難しいようにみえるが、ガイドの手本通りにすれば簡単だ、そこを抜けたときにトップパーティー(日本人だった)が下ってきた。
 肩の雪壁でアイゼンを装着して少し登ったところで、日本女性が後ろについていたことに気がついた、少し話を交わし再度登り始める、雪壁の上部で休憩しウイダーゼリーを飲んでいたとき、瀬尾君が追い越そうとしていたので、彼の口の中にゼリーを流し込んでやったらモグモグしながら登っていった。
 最後のロープのある岩場をやっとの思いで越え、頂上直下の雪壁に出たところで、伊藤君が「GET!」と言いながら降りてきた。「あと、どれくらい?」と私「30分くらいかな」と彼、そのまますれ違い、あとひと踏ん張りだ。 雪壁を素手の四つん這いで登り、なだらかな稜線に出ると、瀬尾君が登頂を終え下りにかかるところだった、握手を交わし「ご苦労さん、やったね!」
 すぐそこに、夢に見た頂上があった、ときに8時15分「ヤッター!」ハービー氏と握手、先に登頂していたレジーナとも握手、彼女のガイドにわれわれの記念写真を撮ってもらい、短い時間ではあったが眺望を楽しみ、写真も撮った。 

8時30分、下りにかかる、雪壁の下部で日本女性とすれ違う
 下降は急なところは、ロープダウン、クライムダウンを繰り返し、あとはコンティニュアスで何とかソルベイ小屋に着いたが、疲労が激しく「くたくた」になっていた、私達の前にスイス人の若者がガイドと和気アイアイ話しながら同じようなペースで下降していた。
 下部の方は、猿廻しよろしくガイドにレフト、ライト、ストレートと指示を受けフラフラしながら下降を続ける、ヘルンリの小屋が大きく見え、取り付きの岩場にやっと降り立った時、田村さんが迎えに来てくれていた、そこでザイルを解き「へなへな」と座り込んでしまった、そのままかなり休憩し(30分位)小屋に向かうと、小屋の主人(ガイド)の子(8歳にして登頂したらしい)が握手に来てくれた、13時55分だ! 伊藤君は11時頃、瀬尾君は11時50分に降りてきていた。

2001年8月1日(快晴

 朝3人で小屋の前に出て日の出を待つ、徐々に陽に当たり赤くなっていくマッターホルンは壮観である。
下山途中ヘルンリ小屋まで上がる、浜田、菱田、竹田、加藤の4人と出会い祝福され、道の脇で即席の茶会が催された。
4人と別れホテル「バンホフ」に戻る。             (石塚 記)

戻る
戻る